管理職なのに出産するなんて、と新聞に載る

2000年12月に上の娘を出産した一か月後の2001年1月に、日経新聞の記者の方が、東京から取材に来てくれました。管理職の女性が出産することが「新聞に載る」くらい珍しいことだったのです。すごいことですね。

「子供は欲しいが、昇進のハードルになる。。そんな悩みで出産を見送ってきたキャリア女性が多い中、管理職に就いた後に出産する例が出始めている。企業側の支援体制が整ってきたことも一因。こんな女性たちの出現は、「管理職なのに出産なんて」という価値観に一石を投じている。」

今見たら、すごい見出しですね。

私の場合、25歳で結婚していて、神戸の震災後は神戸の実家に夫と同居していたので、いつ子供ができてもいい状況にしていたのですが、「まずは管理職にならないと」と思って毎晩遅くまで働いておりました。28歳のころ「管理職になってから産もうと思っている」と上司に言いに行ったら、数か月後にマネージャー(管理職)にしてくれました。そこまではよかったのですが、問題はアソシエートディレクター(部長職)になるとき。当時、そろそろ同年代の友達が出産し始め、わたしもそろそろと思っていたのですが、なかなか子供ができなかったのです。30歳を過ぎて産婦人科に行ったら、子宮筋腫、卵巣脳腫、子宮内膜症、だと言われ、即入院手術。産まずに赤ちゃんがたくさんいる産婦人科に入院するのは、つらい体験なのです。それから、ホルモン治療等で2年ほどかかって、やっと出産できたのが34歳の時でした。32歳で部長になって洗濯関連の要職につけてもらっていました。産婦人科に治療に通いながら、仕事しながら、海外出張も毎月のようにしながら。出産もしないといけないし産休もとらないといけない。男の人たちは、「今月子供が生まれる予定なんですよ。。。」と言って会社に来ている。男性は自分で産まなくていいからいいなあ、と思いました。

要職にいたので、産休も取りたくなかったのですが、そうもいきません。せっかくの産休・育休ということで、かねてから懸案であったUSCPA(米国公認会計士)の勉強をし、5月の連休にアメリカに試験を受けに行き、4科目一発合格して、5月には仕事復帰しました。フィリピン人の上司が、マニラ赴任はどうかと言ってくれて夫の赴任先まで探してくれたのですが、さすがに新生児を連れてマニラ赴任をする勇気はなく、せっかくの海外赴任話もあきらめることに。まあ、いろいろあります。

わたしはすぐ二人目をと決めていたので、復帰してからは、インド人の上司に、二人目を産むけどすぐ戻るから、と言って、ポジションをキープもらい、2か月で復帰しました。。。そのあとも仕事にまい進して、今日に至ります。

日経新聞夕刊の女性欄。最初に私の記事が出ています。