何度だってやりなおせばいい~リカレント教育のおすすめ

今日はスガシカオのライブに行ってきて、”アストライド”を聞いたのでリカレント教育のことを書きたいと思います。

 何度だって やり直せばいい  
 何度だって 恥ずかしくはないよ   
 ぼくが思う世界へ  
 まずぼくが 歩き出すんだ 

私は、大学に行くときになんの目標もなかったので、不完全燃焼のまま、社会人になりました。雇用機会均等法ができたあとではありましたが、女子が長く会社で働くというイメージがまったくないころでした。しかし、大学在学中に一年休学して語学留学をし、いろいろ将来について考えることができ、運よくP&Gに入社し、予想を超えて活躍できました。在職中にUSCPAの資格をとり、仕事をしながら二人の娘にも恵まれました。東京に移動して、念願の子会社CFOにもなれました。

さて、そこからです。レノボ・ジャパンのCFOをしている際に、NECパーソナルコンピューターと合弁事業をする機会に恵まれました。そこのCFOの方に、中小企業診断士の勉強をしようと誘われ、一緒にTACの土曜日の遠藤直人先生のクラスに通いました。ちょうど下の娘が中学受験をしており、どうせ旅行にも行けないし、勉強するにはいいタイミングでした。

努力の甲斐あって、一次二次ストレート合格を果たし、中小企業診断士登録をしました。診断士の勉強の中身はMBAと同じです。せっかく勉強したので、このままMBAをとろうと思いました。週に何度も通うのは無理だろうと思い、大前研一のBBT大学院にはいりました。わたしは20代のころから大前ファンです。「サラリーマンサバイバル」という本に、「これからは英語と会計とITだ」、と書かれていて、自分は英語と会計をやっているのでラッキー、と思いました。

BBTは通信ながら内容がよく、オフ会があって意外にお友達もたくさんできます。しかし、入学後に、慶應ビジネススクールが土曜日のEMBAを開設したことを知りました。土曜日だけなら通学ができる。一期生の募集が終わっていたので、BBTをやりながら、二期生に応募し、無事、慶應義塾大学大学院経営管理研究科 EMBA二期生となることができました。(BBTは中退しましたが、大前ファンなので、BBTチャネル視聴は継続中です。)

それから二年でEMBAを修了しました。

思えば、P&Gに勤めていた30代のころ。ファイナンス部門の同僚が続々と、神戸大学のMBAに通っていました。それより前は、MBAは会社をやめてアメリカに取りに行くものでした。そうしたP&Gの同僚もいました。そのころ、日本の大学でMBAが取れるようになってきたのです。わたしの30代は、仕事をしながら出産と育児をすることで精いっぱいでした。実家に暮らして、同じ会社の夫がいて、十分協力してもらえる好環境ではありましたが、さすがに、MBAに通いたいとは言えませんでした。海外出張も多く、月の1-3度は、アメリカ本社かアジアの国に行っていました。USCPAをとったから十分だろうと思っていました。実際はMBAとは内容は違うのですが、よく知らなかったのです。

だから、MBAに通うというのは、「いつか会社を引退したらやりたいこと」となって封印されていました。そこへ、土曜日だけのMBAというものが出現しました。ありがたいことです。

そのころ、娘たちの中学受験を終え、「ものすごくできる子たちでもない」ということがわかってきました。子供に期待をかけすぎて、実現しそうもないことに落胆していてもしかたがない。やりたいことがあれば、自分がやればよいのだ。と思うと、気がらくになったのです。

慶應ビジネススクールのEMBAは社会人歴15年以上の人たちだけなので、一番若くても38歳でした。クラスメートの男性たちは、まだ40代で子供が小さい人たちも多かったです。それに比べて女性は数が少ないし、独身か、子供がいないか、いても子供が大きい人が多いです。女性の方が平均年齢が高かった。男性がうらやましくはあります。しかし、時期をずらせば、女性も子育てしながら仕事をしながらMBAに行ける時代が来たことは、素晴らしいことです。

わたしは、MBA修了後は、青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科の博士後期課程に通っています。慶應ビジネススクールの博士後期課程は、フルタイム学生でないとだめと言われたので、社会人を歓迎してくれる青山学院の会計大学院に入れていただきました。そこで、わたしが研究したいテーマにぴったりに指導教授に巡会い、管理会計の学会で、これまたわたしが関心のあるテーマを研究されている著名な先生方に巡り会うことができました。

仕事をしながら学び続けることができる時代がやってきました。子持ちの女性でもできます。