EMBA2期生 ビジョナリー著作を思い出す

慶應ビジネススクール Executive MBAの卒業制作は、クラス全員で書いたビジョナリー著作。2058年の世界はこうありたい、そのために我々は何をすべきかを思い描き、討論し、書いた。こちらが私が書いたパートの抜粋。2年前に書いたのだが、今年は上の娘は大学1年生。このエッセイにあるように、慶應法学部のAO入試を受けたが残念ながら合格できなかった。失意の中MARCHのAO合格を一つ得ていたので、2月の一般入試で慶應文系に絞って対策し、無事合格。4月から慶應義塾大学法学部法律学科の2年生になっている。下の娘は高2。今年の夏も吹奏楽コンクールで夏を過ごし、今2回目のウィーン演奏旅行に行っており、明日帰ってくる。

(4-2)中等~大学教育

偏差値教育から自分がやりたいことを選ぶ教育へ
2058年の私は、まだ元気に働いている。さすがに恐ろしく歳をとっているが、この50年の間にずいぶん美容技術が進み、70歳くらいからは歳を取っていないかのように見えるようになった。もっと早くにこの技術が開発されていたら、40歳くらいからまったく老けない自分が達成できていたかもしれないと思うと非常に残念だ。若返る技術革新が進行中なので、今後は期待できる。

私の娘は50年前に女子高生だった。そのころは毎日、地下鉄日比谷線の満員電車でおじさん達にもまれ、ヘアアイロンでセットした前髪がくずれないように抑えながら、地下鉄の階段を駆け上がり、始業ぎりぎりに教室に駆け込んでいた。月曜から土曜まで毎日学校に行き、部活、塾、ととても忙しい生活だった。そのころまでは、旧態依然とした偏差値教育がまだ全盛時代で、センター試験やそのあとの大学ごとの試験により、一発勝負でどの大学に行けるかがかなり決まる時代だった。その試験に失敗すると、一年間予備校に行って、また再び試験を受けることになる。高2の冬には部活をやめ、みんな塾に行く。高2の春には1日10時間以上勉強する気合のある人のみ参加可能という、4日間の勉強合宿が行われた。3年生になると勉強一色だ。春休み、夏休みはほとんどの時間を塾で過ごす。1月2月の真冬に、試験当日にインフルエンザにならないように注意しながら、受験シーズンを迎える。当日に雪で電車が遅れたら大変だ。なぜわざわざ真冬に受験シーズンを迎えるようになっていたのだろうと、今思えば不思議だ。

しかし、このころには日本でも、偏差値だけの教育ではだめなのではないかという議論が起こっており、私立大学のみならず、国立大学でさえ、AO(Admission Office)入試の枠を大きく広げていた。AO入試は、そもそもアメリカではこの方式をとっていたらしく、高校在学中に何度か学力を測る試験を受け、それに加えて、今までの課外活動や、大学で何を学びたいか、将来何をしたいかなどをエッセイにまとめたり面接を受けたりして大学にアピールする受験方式である。

当時、私立大学に加え、国立大学でも東大や東工大、一橋大学がAO入試を始めていた。早稲田の政経にAO入試で合格した子供の人数が、2016年に67名、2017年に86名で31%増。もっと昔は、早稲田の政経は、東大に受かるくらい勉強していくものではなかったのか。

われらが慶應も、様々な入試方法で多様な学生を集めていた。一般入試、指定校推薦入試、自主応募の推薦入試、AO入試、帰国生入試、留学生入試、塾内進学などなど。SFC(湘南藤沢キャンパス)では、一般入試550名募集に加え、AO入試で200名を募集していた。SFCのAO入試は、「多面的能力の総合評価による入学者選考」として、「筆記試験や技能試験などの試験結果による一面的、画一的な能力評価ではなく、中学卒業後から出願にいたるまでの全期間にわたって獲得した学業ならびに学業以外の諸成果を筆記試験によらず書類選考と面接によって多面的、総合的に評価し入学者を選考するものである」ということだ。偏差値だけが基準ではない時代はすでに始まっていた。

始まったころのAO入試は、一発芸入試と呼ばれたこともあったが、そうではなくなっていた。どの大学のどの学部にはいって、何を勉強して将来何をしたいのか。いい大学にはいっていい会社にはいって一生安泰に暮らしたいなんてことを書く高校生はいない。18歳にして、少なくともその時点での“夢”を具体的に紙に書き、面接で語れる必要がある。また、その夢が、世の中にどのように役に立つのかを語る必要がある。野球選手になりたい、先生になりたい、などど、すでにあるどの仕事につきたいかなんてことは聞かれていない。そもそもそのような仕事が将来もあるかどうか誰にもわからない。どのようなスキルと知識をつけて、どのように世の中に貢献していくのかが問われている。

今急に思いついた夢を語るだけではだめだ。18年という短い人生の中、特に中学校、高校6年間でなにをきっかけにどのように成長したのかを問われる。それも急に考え付いたことではなく、いままでの経験、自分に誰がどのように影響を与えたのかが具体的に問われる。

そのころやっと、仕事に対する考え方も変わってきた。将来、食べていくためだけにする単純な仕事はAIに取って代わられていくとわかっていた。 長い人生を豊かに自分の力で過ごしていくために必要な収入を楽しく生み出してくれる仕事を見つけなくてはならない。50年後に、それがどのような仕事かは誰にも推測できない。推測したところで、当たるとは限らない。それぞれの人が自己責任で、何をどの順番で勉強して、仕事にしていくかを考えなければならない。人生の途中で軌道修正することもあるだろう。それは子供のときから始まっていた。

私の下の娘は当時中学三年生だったが、この年代の子供が大学を受ける年から、当時のセンター試験がなくなり、違う形式の試験への変更が計画されていた。下の娘は吹奏楽部でオーボエを吹いており、夏休みにウィーンに演奏旅行に行くなど、部活も忙しい。偏差値だけでなくこのような課外活動も、人生選び力やつながり力を育てるために必要なことだと私は期待していた。

画一的な教育から、選べる教育へ
 東京23区では、区立小学校も区立中学校もすでに選択制になっていた。それまでは、住んでいる地域内で、行く学校は決められていたが、徐々に行きたい学校を選ぶことができるようになってきていた。さすがに小学校に行くときは親が選ぶ。しかし、中学校に行くときは本人も意思を反映させることができる。小学生のうちから見学にもいける。区立だけでなく、都立や私立の中学校に行くこともできる。私立の中学校も、所得が十分でなければ補助がでる。高校、大学はもちろん本人の意思は重要だ。本人が誰のアドバイスを受けるのかも、本人の選択だ。誰かの言うことをそのまま真に受けたとすると、それはその子供の責任となる。少なくとも小学生のうちから、自分がどんな環境にいたいか、だれにどのように影響を受けたいかを考えて生きていかねばならない。

子供が大人の職業に触れる機会も作られるようになっていた。小学生は学校の近くのお店などで2-3日職業体験をする。キッザニアも盛況だ。中学校には様々な職業の人が講演に来ていた。医者でMBAをとって、病院経営のコンサルティングをしている人。IT企業を経営している人。日本の大手企業がスポンサーになり、中学生がインターンをする制度もある。私立高校の修学旅行では、漁船に乗って漁業体験、伝統工芸体験、林業体験、商店街に商人体験。ただ、これらの活動が、すべての子供に“ささる”わけではない。漁業体験を子供の希望でやるわけではない。やりたくない子もいる。講演があっても寝ている子もいる。大人ができることは、あきらめずに様々な機会を与え続け、 “ささる”子供を増やし続けることだ。

人生選び力を育てる教育への転換~アカデミックカウンセラーと共に
さて、自ら自分が何者かを理解し、自分が将来何をしたいのか、そのためには何をすべきか、どのような環境にいるべきかを選択できる子供を育てる教育はいかにして実現するのか?当時学校で働いている教師だけに、その責務を任せるのは荷が重いと思われた。これは社会全体で負うべき課題だ。大人たちが長い人生を楽しく生きるためには、生まれてくる若い世代が、よい社会を作ることができるようサポートする必要があるわけだ。教師以外の社会人経験をした人を教師として雇うことは一つの方法ではあるが、限界はある。そこで、さまざまな仕事に就く社会人がローテーションでアカデミックカウンセラーとして小中高校に勤める制度が創設された。アカデミックカウンセラーは当時もアメリカの高校などで学生の単位取得の相談などにのる職務として存在はしたが、新しく創設されたアカデミックカウンセラーは教師以外の社会人経験を持つ人々なので、教育に関する相談事だけではなく、進路指導や、将来の職業選びに備えた学業の相談にのるのだ。そうすると、教師は教科を教えることに専念できる。企業はアカデミックカウンセラーとして従業員を学校に送り込むことには積極的だった。将来、企業人・消費者となる若者と早いうちから接点を持つことは、企業の将来事業設計において重要な情報を得ることに役に立つ。小中学生と社会人が日々交流することにより、お互いの視野を大きく広げ、将来に向けての行動を促す。

子供たちは勉強、部活、趣味などに大変忙しい。どのようにして、自分が何者で、何をしたいのかがわかり、自分に影響を与える環境を自ら選べる“人生選び力”を持つ子供になる時間を捻出できるのか?人類が進化しても1日は24時間で変わらない。睡眠時間が3時間ですむようには人類が進化しなかった。しかし、単に講義を聞く時間、教科書を読む時間、暗記をする時間、計算練習をする時間は減った。人間が暗記していなくても、計算ができなくてもいい時代がやってきたわけだ。自分で計算してみたい子供はやればよい。でも全員がやる必要はない。自分が興味のあることをやればよい。

2058年の今、昔ながらの大学もあるが、「TAKUMI-匠-」の生き方を実現させる、匠校もある。高校を出てすぐ働きたい人はそれでもよく、仕事をしながらまた勉強に戻ることも可能だ。新しく興味を持った仕事をしている人、そのような勉強をしている人たちに気軽に連絡をとり、教えてもらえる仕組みが充実している。自分で選択できる力を身につけた人たちは、選択するための情報収集に時間を惜しまない。単純業務をAIがするようになった今、人類がやるべきことは人間同士のコミュニケーションから生まれる。暗記だけでない考えること、コミュニケーションをとってまた考えることに頭脳をフル活用するのだ。

私の娘の孫が今中学生。とりあえず教科書を丸覚えしておけば期末テストでいい点がとれるような暗記勉強ばかりしていた、私の中学生時代とは大違い。溢れる情報と選択の自由を乗り越えて、今自分が何をすればよいのかを考えて生きている。でも人間だから考え間違いや失敗もある。この時代のよいところは、やり直しが効くことだ。自分と違うことをしている人たちからいつでも情報とアドバイスをもらえる。真剣な中にも気楽に、人生を楽しむ機運のある時代になっている。