大学時代の大きな決断

私は文学部英文科出身です。決して文学が好きだったわけではないのですが、当時の女子は、先生になりたい人は教育学部、そうでない人は文学部という風潮だったのです。そもそも、女子は4年制大学に行くと、就職もないし結婚も不利と言われていました。短大に行っていい会社にはいって、しばらくしたら会社の人と結婚するのが王道で、25歳はクリスマスケーキとか言われていました。。。なんと古い話ですが、本当です。

わたしも、なんの意図もなく文学部に入ってしまったのです。勉強は結構できたのに、残念な話です。ある国立大学を受けようと思ったのですが、共通一次で少し失敗して10点ほど基準点に足りずに、一ランク落とした国立大学に通りました。実は、もともと受けようと思っていた大学の学部が、たったの1.3倍の倍率だということが、志願締め切りのあとわかり、だったら、そちらに出しておけばよかった。。。と後悔しきり。国立大学は一つしか受けられないのです。なんだか受かった国立大学にいきたくなくなってしまいました。で、家も出たくなり、すべりどめで受けた京都の私立大学に行くことにしてしまいました。なんだか支離滅裂な結末です。

はいってすぐ、とても後悔しました。もう一度大学受験をやり直したいと思いました。大学もいやだし、英文学科なんてやりたいわけではない。せっかく受験勉強したのに、なんてことでしょう。

そういうしているうちにESSにはいって友達がたくさんでき、毎日楽しくなったので、そのままになってしまいました。ESSのメンバーはわりとレベルが高く、別にわたしが一番できるということはなかったのです。楽しく学生生活を過ごしてしまいました。

大学2年生の夏に初めてアメリカに行ってシアトルでホームステイをしました。大学3年が終わった春に、そのホストファミリーがハワイに旅行するというので、母と一緒に会いに行きました。私がホストファミリーと話すのを来た母が、「あんた、あまり英語上手じゃないね」と言いました。そうそう。英会話習ったこともないし。外人と話したこともあまりなかったのです。英検1級も3回落ちていました。

同じツアーにいたおじさんが、娘を留学させた話をしていていました。おりしもバブルのころ。。。父の会社の持ち株が上がっていたそうです。母が、「留学する?」とわたしに聞いたのです。

ということで、それから2週間で決断し、大学に休学届を出して、一年休むことにしました。とはいってもなんの準備もしていないので、大学に留学することもできない。2か月ほどアルバイトをして考えました。結局、ロンドンの語学学校に行くことにしました。

なぜロンドンか?わたしはずっと首都に住みたかったからです。ニューヨークは一人で行くのは難しそう。。。ロンドンなら大丈夫。6月に一人で伊丹空港から、大韓航空のソウル、アンカレジ、パリ経由で、ロンドンに行きました。ロンドンのガトウィック空港にたどり着くのに24時間かかったのを覚えています。